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<前回のあらすじ>
センター試験で失敗してしまった「S」。
その後も、早稲田の過去問の点数は一向に伸びず、勉強は停滞。
上手くいかない理由を周囲に責任転嫁していたSだったが、担当センセイ・馬場にそれを指摘され、想いを改める。
「全落ちして、浪人生活を送ることになってもいい。そうしたら、もう一年、僕はチャレンジしたい!」
覚悟を決めたSは、遂に同志社大学の入試を迎えるのだった――。
偏差値40台からの早稲田逆転合格体験記 #2 ― ターニングポイント編 ―
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偏差値40台からの早稲田逆転合格体験記 #最終回 ―早稲田受験編 ―
目次
vs同志社過去問

僕は1月の終わり、初めて同志社の過去問を解いた。
第一志望である早稲田の過去問でも、未だに合格最低点をとれていなかったので、当然、同志社の過去問に対しても自信はない。
「ぜんぜん解けなかったらどうしよう…」
そんな恐怖心を抱きながらのチャレンジだったが、いざ手をつけてみると、思いのほかスラスラ解くことができた。
「何かの間違いじゃないか?」
途中、そんな言葉が脳裏をよぎったけれど、結果、僕は合格最低点を上回ることができていた。
徹底した早稲田対策を行っていたためだろうか。
自分でも気づかぬうちに、同志社の過去問に対応できる力が身についていたらしい。
余裕ってわけじゃないけれど、「これなら受かる可能性がある!」と思えた。
2年分くらい、丹念に過去分析をすれば、合格が見えてきそうだ、という確かな手ごたえがあった。
でも、同志社の試験本番3日前。2月5日だったと思う。
僕は「同志社を受けるのをやめよう」 と考え始めていた。
関連記事:【早稲田の英語】過去問演習が合否を分ける!現役早大生が徹底解説

やめます、同志社受験

同志社受験をやめようと思った理由。それはとてもシンプルで、
「同志社の試験日も、早稲田受験の対策をして、少しでも合格率を上げたい」
と考えたからだった。
早稲田の過去問で、まだ合格最低点は取れていなかったものの、少しずつ点数は伸びていて、「これなら手が届くかもしれない」と感じられるようになっていた。
僕は自分の考えをまとめ、以下のようなメッセージを馬場センセイに送った。
「同志社を受けるの、やめようと思います。浪人の覚悟もできています。
早稲田に受かる自信も出てきたので、同志社を受けに行かないほうがいい、と考えています。
同志社の試験を受ける時間を、早稲田の受験対策にあてたいんです。これについて、馬場センセイの意見を聞かせて欲しいです」
それに対する馬場センセイの返事は、次のようなものだった。
「最終的には、Sが自分で考えて決断したらいいと思う。その上で、『俺だったらこう考える』というのを伝えます。仮に同志社に受かったあとの自分を、想像してみて欲しい。それでも、絶対に進学しない、と断言できるなら、受ける必要はないと思う。でも、それが断言できないなら、既に申し込んであり、かつ最も合格可能性が高いところを、早稲田に合わせるために削るのは、得策ではないんじゃないかな。
何より、同志社を受けること自体が、早稲田を受ける練習にもなるし、上手くいったなら大きな自信につながる。そして、同志社の受験結果は、今後の人生にも少なからぬ影響を及ぼすと思うんだ。なぜなら、もし浪人をするにしても、同志社に受かった上で浪人をするのと、どこにも受からないで浪人するのとでは、全く気持ちが違ってくるから。
合格を手に入れた上で、決意して自分の意志で浪人することと、選択肢がないから浪人することは、完全な別物。
それでもなお『同志社を受けなくていい』と言い切れるのであれば、そこで初めて『受験しない』という選択肢を検討すべきだと思う。
今こそが大事な分岐点。何が正解かという答えはない。自分と向き合い、未来と向き合い、よくよく考えて決断してください。自分自身の選択が、己の人生を作っていく。がんばれよ 」
馬場センセイのメッセージを読んで、僕は考え込まずにいられなかった。
喉に刺さった魚の小骨のように、何か引っかかるところがあったのだ。
しばらくして、僕は自分の本心に思い立った。
正直に言えば、僕はただ「失敗するのが怖かった」 だけだった。
「同志社に落ちたらどうしよう…」
「同志社の対策をしすぎて、早稲田落ちたらどうしよう…」
試験が近づくにつれ、不安と焦りが込み上げて、いつしか失敗ばかりを考えるようになっていた。
そう、同志社を受けないという考えは、本当は「逃げの選択」 でしかなかったのだ。
振り返ってみると、僕は昔から自分ができそうにないこと、失敗しそうなことから逃げてきて、何かを満足にやり遂げた経験がなかった。
だから、同志社の受験よりも早稲田の対策を優先する、というもっともらしい理由をでっち上げ、自分を正当化 しようとしていたのだ。
同志社を受けないことは、失敗を恐れる弱い自分への敗北を意味する――。
僕は心からそう思った。
「ここで弱い自分に負けたくない。自分を変えたい。逃げずに同志社に挑戦する!」
覚悟を固め、同志社の受験に挑むことを決めた。

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同志社受験本番~バクシーンの罠~

そして2月8日。遂に同志社の試験当日を迎えた。
気持ちを切り替え、やれる限り過去問分析もしてきたので、合格の自信はあった。
「いつも通りやれば、受かる」
そう確信していた。
しかし、そんな期待は見事に裏切られることになる。
最初の英語で、いきなり壁にぶつかったのだ。
長文を読んでいると「vaccine」 という単語が連発されていた。
見たことも聞いたこともない単語だった。完全に意味がわからない。
「なんやバクシーンって!?」
心の中でそう呟きまくっていた。ハッキリ言って、頭の中はめちゃくちゃだった。
英文が、全くと言っていいほど頭に入ってこない。
それなのに、手をつけられていない問題がたくさん残っていて、無情にも時間だけが過ぎていく――。
焦りで頭が混乱しまくり、センター試験の際と全く同じ状況に陥っていた。
「でも、同じ過ちは繰り返しちゃいけない」
僕は自分にそう言い聞かせつつ、大きな深呼吸をして、冷静さを取り戻した。
たとえ「バクシーン」の意味がわからなくとも、ほかに解ける問題はちゃんとある。
確実に点を稼げるところで稼ごうと気持ちを切り替え、最後まで諦めずに解ききった。
しかし、実際問題「バクシーン」の影響は大きく、英語が終わった瞬間、
「落ちた…」
と思った。ちなみに、あとでわかったことだが、あの意味不明な「バクシーン」という単語は「ワクチン」という意味だったらしい。
バクシーンで爆死… なんて言葉が脳裏をかすめたが、ここで不合格と決まったわけではない。
「今集中すべきは、残りの国語と政治経済だ。ここから盛り返せる可能性は十分にある」
僕は改めて自分に言い聞かせた。
残り2教科は、上手く切り替えができたお陰か、納得のいく出来だった。
国語はかなり手ごたえがあった。政治経済は前日と前々日、集中的に対策した早稲田の問題に類似した出題があり、周りが解けないであろう問題で点を稼げた、というラッキーも起こった。
試験が終わった瞬間、
「もしかしたら受かったかもしれない」
という気がしたが、すぐにバクシーンの一件を思い出して、「やっぱり落ちてるだろうな…」と落胆した。
しかし、結果いかんにかかわらず、「試験中の焦りに対処できる力がまだ不足している」と再認識できたのは好材料だった。
こうした学びは、今回がダメだったとしても、確実に次に活かすことができる。
「センターと同志社の悲劇を繰り返さないよう、もっと本番を意識した演習を重ねよう」
そう心に誓った。
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合格発表で大ピンチ!?

同志社の合格発表は、早稲田受験のために東京入りする前日だった。
正確には、早稲田受験が始まる2日前。
僕は、毎朝の散歩を日課にしていたが、その途中に祖父と行き会った。
「今日、同志社の合格発表なんよ。たぶん、落ちとるけどね」
祖父にそう話したことを、今もよく覚えている。
それでも、「もしかしたら…」という淡い期待があったから、合格発表のずいぶん前から、僕はパソコンの前で待機していた。
そして、遂に合格発表の時間。
受験番号を入れ、クリックさえすれば、結果が判明する。
心臓はバクバクと高鳴っていた。震える手で、受験番号を入力する。
言いようのない恐れを感じ、僕は目をつぶったままクリックした。
そして、ゆっくりと目を開く――。
やがて、視界が開けた。そこに見えたのは、
「合格」
という赤い2つの文字。
僕は思わず叫んだ。考えられなかった。
半年前まで、絶望的な状況だった自分が、同志社大学に合格したのだ!
思わず涙があふれてきた。今までの人生で一番ってくらい、僕は号泣した。
そのとき家にいた父親も、一緒に泣いていた。
そして僕は、祖父の元にも報告に行った。
朝の時点で「たぶん、落ちとるけどね」と伝えていたので、祖父も開いた口がふさがらなかった。
しかし、この予想外の合格によって、僕は密かなピンチを迎えることになる。
「早稲田に、東京に行きたいから、同志社に受かっても進学しない」
そう決心したつもりでいたが、嬉しさのあまり、同志社に進学しても良いと思い始めている 自分がいた。
早稲田の本試験が、2日後に控えているにも関わらず、だ。
どうしても同志社に気持ちが向かい、早稲田受験がどうでもよくなってきていた。
勉強していても、全く身に入らない。
ようやく早稲田の合格に手が届きかけ、山頂が見えてきたというのに、なぜか踏ん張りがきかなくなっていた。
頭の中には、同志社大学のキャンパスばかりが浮かんでしまう――。
でも、そんな気持ちの一方で、同志社のことは完全に忘れ、早稲田受験のことだけを考えたい、という自分もいる。
僕は二つに引き裂かれていた。
早稲田受験だけに集中したい自分と、同志社に進みたいと考えてしまう自分。
まさしく板挟み状態だった。
「今のままの気持ちじゃ、早稲田を受けても落ちるに違いない」
そんな風に思えて、どんどん気分も下がっていったが、どうすることもできなかった。
結局、心に大きなモヤモヤを抱えたまま、東京行きの飛行機に乗り込むハメになった。
そして、東京入りしたその日の晩は、馬場センセイとの最終指導日でもあった。
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さらば、心の葛藤よ!

実を言うと、僕は馬場センセイに自分の葛藤を伝えていなかった。
早稲田への気持ちを失っていることは、自分でも認めたくなかった。
それに何と言っても、翌日には、早稲田の教育学部の試験が控えているのだ。
「この悩みは、もはや解決しそうにない。それなら、葛藤する気持ちはひた隠しにしたまま、気持ちよく最終指導を終えよう」
僕はそう考えていた。今更そんなことを話しても仕方ない、と。
馬場センセイとは、とても良いコンビで半年間の受験生活を乗り切ってきた仲だ。それなのに、
「実は同志社への想いが断ち切れず、早稲田受験に集中できていないんです…」
なんてことを最後の最後で話すのは、すごくダサいし嫌だった。言えるわけがない。
僕はどうすることもできないまま、最終指導の時間を迎えた。
「同志社に合格できて嬉しい。この調子で早稲田も頑張れそうです!」
僕は自分の気持ちを隠し、やる気十分な自分を演じる。ほかに打つべき手はなかった。
本当は早稲田への思いが消えかかって、どうしようもない状況なのに――。
でも、馬場センセイは僕の本心を見抜いていた。
深く、そして長い付き合いだからこそ、僕がいつもと違っていることに気づいてくれたのだと思う。
「早稲田に受かるチャンスは目の前だっていうのに、本気になれていないんじゃない?」
馬場センセイは、まるで精密機械のような言葉で僕の心を一突きにした。
そして、僕の弱い心に、真正面からぶつかってくれた。
「このままじゃ、ダメだ」
指導を受けているうちに、心からそう思えた。
馬場センセイと一緒に、早稲田に行く意味について改めて考えた。
本当にかけがえのない時間だったと思う。
そして指導後。僕の考えは180度変わった。
「同志社には行かない。早稲田に行く。早稲田に落ちたら浪人する」
今度こそ、心に誓った。
僕はこの決心を忘れないため、学びログ(センプレ生専用の学習記録ツール)に以下のように記した。
「両親には、同志社に行くと伝えていたけれど、やっぱり東京に行く。絶対早稲田に行く。そう決めました。これは、もう二度と揺らがない、とてもとても固い決心です。
政治の中心、東京じゃないとできないことって、たくさんあると思う。たとえば、実際に国会に足を運ぶ大学生って、学内で政治を考える学生より、本気で政治のことを考えている人ばかりだろうし、そんな風に、深く政治と向き合う人と出会ってみたい。政治に対する想いは、初めて興味を抱いた四年前とは、比べものにならないくらい強いものになっている。だから絶対、何が何でも早稲田に行く!
合格率が何パーセントとかは、もう知らないし、気にしない。どんな問題が出ようが立ち向かう。ただそれだけ。何としても解いてみせる。絶対、早稲田に行ってやる!
同志社の合格を味方につけて、最大限の実力を発揮します。さっき、ラインのトプ画を早稲田ベアのぬいぐるみと早稲田のお守り、大隈重信の写真に変え、ホームの一言で『早稲田に絶対合格します』と宣言しました。覚悟はできたから、これでもう大丈夫。早稲田受験が楽しみすぎる!! 」
そして翌日。朝起きると、馬場センセイから学びログに対するコメントが届いていた。
「 いよいよ勝負の舞台だね。いい切り替えができていると思う。気持ちよく試験会場に向かえるんじゃないかな。この大チャンスを得られたのは、これまでの努力あってこそ。ここまでたどり着いた自分を信じて、最後の最後まで粘り抜いて戦ってこいよ。行ってらっしゃい! 」
馬場センセイの言葉を噛みしめつつ、僕は早稲田の試験会場に向かった。
心の中に、もはや葛藤は存在していなかった。
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偏差値40台からの早稲田逆転合格体験記 #最終回 ―早稲田受験編 ―
偏差値40台・自称進学校のぼくが早稲田に逆転合格できた秘訣は”勉強法をガラッと変えたこと”にありました
「ネットで調べた勉強法 を試してみたけど、成績が上がらない… 」
「人気の参考書 を、オススメの使い方で勉強したのに、知識が定着しない… 」
「同じ志望校の人の合格体験記を参考 に勉強してみたけど、模試は“E”判定… 」
これは全て、ぼくが受験時代に陥っていた悩みです。
そして、こういった「他者を真似た勉強」が上手くいかないのには、明確な理由があるということを知りました。
それは、受験生は皆、それぞれ志望校も違えば、学力も違うから。
加えて、性格・環境・ライフスタイル・考える力――全てが違うから。です。
ですので、そうした「違い」を無視して誰かの勉強法を真似しても、自分にぴったりハマることはなく、成果にはつながらないんです。
成果の出る本物の勉強とは、自身の学力などの現状を客観的に把握した上で、
“ 志望校合格 ”というゴールから逆算 して学習計画を立て、
「どんな教材を、いつまでに、どんな方法で」勉強するのか、具体的なアクション に落とし込み、
実際に行動 して得た結果を材料に、より良い学習計画に改善 していく。
といういわば学習のサイクルを生み出すことです。

そして、それを自らの意志で継続的に回し、磨いていくことが成功の鍵です。
センセイプレイス では、志望校合格から逆算した、戦略的な学習の進め方を指導。
「どの参考書がオススメか」ではなく、それを「いつ・どんな目的で・どう使うか」という『実践』の部分に最も注力。
専属のコーチがマンツーマンで、1人ひとりに合った勉強のやり方を指導します。
皆それぞれ状況が違うのだから、100人100通りのやり方があって当たり前。
ぼくはこれらのことに長い間気づかず、大事な勉強時間を無駄にしてしまいました。
参考書に、また闇雲に手をつける…その前に、いま立ち止まって『勉強のやり方』『計画の立て方』『合格の仕方』を無料受験相談で相談してみてください!
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